手術/葉leaf
 
いるとき、書類はただの理解を拒む他者に過ぎない。そして、仕事はこのように理解を拒む他者の連合である社会による私的領域への侵犯によって私たちを疲れさせる。

私たちは、家庭における小宇宙のなかで私的に自足して完結している。だが社会という大宇宙は果てが見えず、原理が見えない。私たちは仕事をするとき、小宇宙から出て、大宇宙の厳しい宇宙線を浴びることになる。それは一つの手術なのかもしれない。社会という一つの機械が、私たちを絶え間なく整形手術してくる。整形手術の理由など分からないが、とにかく私たちはその手術の負担によって疲れ、その手術から回復するのに疲れる。社会はその構造に合わせて私たちを都合よく設計していくのだ。それは端的には上司の仕事における態度や方法の指示として表れるだろう。私たちは上司の命令に従わざるを得ない。そこで手術が起こるのだ。麻酔に耐え、メスに耐え、縫合に耐え、私たちは少しずつサイボーグになっていく。仕事をするということは、社会という巨大な機械による手術を受けることで夥しく傷つきかつ回復し、その理解を絶する設計に沿ったサイボーグとして、日々疲労するということに他ならない。

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