愛と孤独の彼方へ/葉leaf
回収され尽くせない独自の論理と展開があると見なければならない。光冨は、リアルな自己の傷の治癒という差し迫った要求に従うのに終始したのではない。そこには何の遊びもないし余裕もない。そうではなく、リアルな自己を題材としながらも、そこから一気に虚構の平面を展開させ、偶然的に湧き起ってくるアイディアに駆動されながら、テクストの詳細さと整合性・エンターテインメント性を作り出し、余裕に満ちた遊びの空間を展開しているのだ。
多くの人がそうであるように、光冨もまた傷を負った孤独な存在であり、連帯を求める愛を抱いた存在である。だが、光冨はそのようなリアルの自分を物語的に治癒しながらも、そのリアルの自分を虚構の次元に解放し、エンターテイメント性のあるテクストの制作と共有によって、新たな孤独と連帯を手にしたように思われる。読者はもはや光冨の実存まで遡ってはくれず、好き勝手な読みを始める、その意味で光冨は孤独になった。だが、自らの実存を普遍的なテクストとして読者と共有することで、光冨はリアルな次元とはまた異なった連帯を、数多くの読者と同時に結ぶようになったのである。
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