愛と孤独の彼方へ/葉leaf
るものではない。それは固定的で、断片的で、直視するのには苦痛が伴う。光冨としては、それを解消しないままずっと孤独に抱えていてもよかったはずである。だがそのような幼児の傷を物語として言語化することは傷の解消になる。そして、光冨は単に孤独に自らの傷を癒すだけではなく、それを他者に開かれたものとして、他者が読むに堪えるものとして、作品的強度を備えたものとして他者との物語的連帯に持ち込んでいるのである。ここには光冨の、孤独で傷を負った自己を超えて他者との連帯の中へ自己の物語を試していく姿勢が見て取れる。
(わたしのひとよ
(わたしの土を喰らうとよい
(それであなたが新たにそだっていくのであれば
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