記憶を宿すこと/深水遊脚
認する作業はその都度していて、それは人の視線に晒されることで磨きがかけられるのだと「思う」…また語尾がこれだ…
「記憶を宿す作業」という言葉を現代詩フォーラムに投稿した散文 "That's Me" で使ったけれど案外自分で気に入っている。人の記憶は不完全なものだ。などと言い切るのは私の記憶力が悪いからで、もしかしたらすべてを覚えていられる人もいるかもしれない。不完全でも記憶に行き場所がないわけではなく、話す言葉や書く言葉に現れる。言葉がやりとりされ、語り継がれる現場で記憶も交換されることになる。様々な完成度のそれらがぶつかりあうとき、摩擦も起きる。
語り継がれる
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