鏡/葉leaf
 
ブログを書くという行為は白紙を黒いしみで汚していく行為であり、無垢な幼児に有害な社会教育を施す行為である。何も存在しなかったはずの透き通ったウェブ空間に、自らの存在の汚れをなすりつけていく。人間は存在自体が汚れであり、その肉体・思想・感情、豊かであれば豊かであるほど汚れている。だが、善と悪とが同義であるように、この汚れは美しさと全く同義なのである。ディスプレイが文字で汚されていくと同時に、美しい音と意味と形の建築が徐々に出来上がっていく。すべての汚れは美しく、すべての美は汚れている。すべての存在はこの両義性の隙間をするする螺旋状に伸びていく蔓のようなもので、文字を打ち込んでいくごとにディスプレイは
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