宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために/Sabu
おらか」とか「心暖か」という形容だけでとても軽く扱っていますが、それらの神話や祈りというのは、そんな生ぬるい「お話ごと」ではありません。
◆おわりに
賢治の文語詩は読み手によって世界が大きく膨らむところが特徴であり、そこに独自の魅力があります。しかしその一方で、そぎ落とされ、凝縮された「言葉」の解釈次第で、鑑賞が大きく変わってしまう危険を併せ持っています。少なくとも「雪峡」におけるGiton氏と私の鑑賞の違いは、その実例になるかもしれません。文学作品にとって多様な解釈がなされることは悪いことではないですが、無理な解釈に基づいて他者の解釈や鑑賞を一方的に批判することは、作品や作者が望んでいることではありません。賢治作品の一読者としては、ひとつひとつの言葉に注意しながら、謙虚に作品に向き合っていきたいと思います。
この文書グループの場を開設し、文語詩作品を再読する機会を与えていただいたGiton氏に感謝申し上げます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 (2014.11.03 Sabu)
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