宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために/Sabu
 
ような作品の成立過程は、新校本全集の校異篇に詳しく記されており、賢治の文語詩をよむ人にとっては既知のことです。最終稿において、賢治自身がその題名を採らなかったのですから、一度下書稿にあらわれて消えた「なだれ」という言葉に過度にこだわりすぎると、むしろ最終稿の鑑賞を歪めてしまいます。文語詩下書稿の校異をたどれば、童話「ひかりの素足」や「水仙月の四日」との関連を無視することはできませんから、詩の背後にかくれているのが「なだれ」ではなく、「吹雪」による遭難譚であったとしてもよいでしょう。したがって最終稿については、詩の背後にある遭難の原因が「なだれ」であっても、あるいは「吹雪による行き倒れ」であっても、
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