ありがとう/葉leaf
 
の思いやりを巻き込んで生起したのか、或いは不条理な感傷を名づける意識の次元で他者の思いやりが挿入されたのか、それは分からない。だが、このように季節が凍えと闇に向かっている中、私の内面は逆に人と人との連合の中で醸成される温かい好意のやり取りで満たされていっていることが私には驚きであった。季節が春から冬に向かい、人を取り巻く環境が厳しくなっていく中、私の内部には他者や社会とのやりとりが膨大に蓄積されていき、それは徐々に熱を増してついに私に「ありがとう」と言わしめた。春に社会に出て初めての冬を迎える私に訪れたのは、孤独でも悲しみでもなく、有り余るほど降り注いでくる人々の声やしぐさと共に生きていく証である「ありがとう」とう感謝だったのだ。

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