旧人と呼ばないで/ドクダミ五十号
れる日が我々にも訪れるかもしれない。
差別によって混血は難しく、今後「フォーク」するならば滅びもあろう。
その時に「人」の本性が問われる。死と手向け。人間存在。
考える時間がどれほど有るか? 埋葬と献花と嘆き。もしも本当なら
ネアンデルタールは旧人と時間軸を基準にそうは呼べない。
馬鹿の戯言だが、私が「優しくなければ人間では無い」と自らに言うのは
連綿と続いて来た「人間」の進化と歴史の上で、大切なものは何か?
陳腐な観点だが考えてみても良いのではと思うのです。
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