二〇一四年ノーベル賞を肴に雑感/もっぷ
と思いながら結論するがあれはいったい書くということの一人の赤の他人の性格的傾向からくる彼のなかだけで完結してしまう快感・満足以外にいったい何を見いだせるのか読み手として支払った立派な単行本三冊分に見合うものを得ることができたのかという恨み節的趣向のブーイングを正々堂々とできるほかには何すらもないからっぽな時間を人生のなかでつくられてしまったわたしは被害者であるとちいさな声で言う、村上春樹教祖に忠実なる信者たる無限の大勢の怖さを知っているから。ノーベル文学賞の来年にも再来年にもその発表時期が来たならまた取れなかったというツイートがきっと続出するのは経験済みで(あるわけはないが)風物詩ですらありせっか
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