人生への愛/葉leaf
情の正負は問題ではなく、いかに人生を愛しているかによって書かれる詩は変わってくるのではないだろうか。どんな悲しみであっても、どんな直視しがたい出来事であっても、くまなく愛することができる、そういう人生への愛でもって、人は悲しみや惨事をも詩にすることができる。だからもちろん快不快も大きな問題ではない。どんなに不快なことであっても、人生に対する遍在する愛をもってすれば詩の題材になりうるのである。
人間は自分の人生しか生きることができない。人間に与えられているのは、厳密には自分の人生それだけである。その自分の人生は限りなく刺激に満ちているし、限りなく抑揚に満ちているし、限りなくリズミカルである。人生が自分に与えてくるものに対し、素直に愛情を返していくということ。そしてその愛情が捉える人生の平凡な諸事を、詩の題材にしていくということ。こんな当たり前のことで詩は十分成立するし、与えられた唯一の人生を最大限愛さないでいったい何を愛するというのだろう。
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