笛吹き少年の行くえ(8)/Giton
え、その隠蔽そのものによって、沈黙によって、“マイナスのエクリチュール”によって語りだすとき(注:このような意味で、遂行過程での大幅な削除・刈り込みは、単なる“書かないこと”ではなく、むしろ“削除によって書くこと”、ロラン・バルトの書名『零度のエクリチュール』をもじって言えば、“マイナスのエクリチュール”と呼ぶべき創造的営為だと考えるのです。)、宮澤賢治は、政治的アジテーターでも、宗教的リーダーでもなく、“文学”以外の何ものにも奉仕せず利用されぬ鋭い感性をもった詩人、ないし“詩鬼”であったのです。。。
{引用=文語詩『雪峡』を主題とする・おそらく唯一の論考(富樫均:「雪峡」,in:宮沢賢治研究会
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