笛吹き少年の行くえ(1)/Giton
思い、慄然とする心境でしょうか‥。
ここには、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」という『歎異抄』の言葉に現れた浄土真宗的な「原罪」観、「宿業」観が、色濃く反映しているように思われます。
さて、だいぶ脱線してしまいましたが、宮沢賢治が文語詩の制作に集中したのは、晩年の数年間(1929-33)のことでした。中学生時代から高等農林学校卒業までは、もっぱら文語で短歌を制作し、教職に就いたころ、散文童話と口語詩を開始、そして最後の数年間は文語詩に戻る──というジャンルの変遷があります。これをいま、年譜形式にまとめてみると、次のようになるでしょう:
1910年(14歳)韓国併合。大
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