笛吹き少年の行くえ(1)/Giton
 
名にするきっかけとなりました。
しかし、この詩碑は、関係者らの当初の計画では、「雨ニモマケズ」ではなく、次の口語詩が刻まれる予定だったのです:


   業の花びら{注=死没直後は、この詩も有名になっていたようで、中原中也は酔うとしばしば、「そらには暗い業の花びらがいっぱいで‥」と放吟していたという証言がありますし、他方、浄土真宗の熱心な信者だった賢治の父・宮澤政次郎氏も、この詩を推奨していたようです。檀一雄『小説太宰治』,岩波現代文庫;栗原敦『宮沢賢治 透明な軌道の上から』1992,新宿書房,pp.246-247.なお、中也は幼時から生涯カトリック信仰に親しんでいたほか、15歳時に真宗の
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