庶民として詩を書くこと/葉leaf
民」として、視線に上下の振幅を付与したうえで、高いところからも低いところからも同時に庶民生活を描かなければならない。
働くことは喜びにも苦しみにも満ちている。我々庶民は働くことを通じて多くのことを感じまた考えている。そこで感受性がフルに稼働しているのだ。だが、働くことを描いている詩のなんと少ないこと! 感じ考える所があるところに詩が発生するとするならば、労働こそが最大の詩の源泉であろう。だというのに、なぜ人はかくも余暇の随想ばかり詩にするのであろうか。庶民として、働くものとして、感受性の働くままに詩を書いていこうではないか。
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