小説における文体の問題/yamadahifumi
 
に対する視野が増大したように感じられているかもしれない。だが、それはある安易な場所に腰をおろしたにすぎないのではないか。僕はその事を疑っている。
 

 文体の問題に関してはかなり面倒くさいので、ここで本格的に論じる事はやらない。だが、例えば、先日買ってきたローラン・ビネの『HHhH』などは、かなり凝った作りになっている。それはドイツナチスに関する歴史的な物語なのだが、彼はその歴史をそのまま叙述したりはしない。ビネは、ナチスにまつわる歴史的事実を小説に書くにあたって、その嘘くささ、つまりフィクションを自分が作り上げる際の嘘くささを自分でも感じていて、それを盛んに壊そうとする。ビネは作者を何度
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