サリンジャーとドストエフスキー (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
はその知性に取り込まれたものではない、と考えているからだ。これは説明を要するだろう。例えば、ドストエフスキーの罪と罰の極めて特徴的な点というのは、そこで起こるあらゆる物事が、全て、ラスコーリニコフの自意識を通して始めて意味あるものになる、という事にある。例えば、作者が机の上のコイン一つ取り上げるにしても、それはラスコーリニコフの自意識により、変容したコインなのだ。この辺りは画家でいうなら、印象派と写実派との違いとして比喩できるだろう。印象派にあたっては、全ての物事は画家の視点により変更を帯びている。それらの絵は、画家の視点によって改変されるが故に意味を帯びるのであり、そこで主になっているのは自然で
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