サリンジャーとドストエフスキー   (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
 
かけとは違い、青春小説の傑作だと僕は思っている。だが、チェホフもサリンジャーと同じく、ドストエフスキーのような長大な劇の前でとどまり、引き返してくる。そういう違いがあるのではないか、と思う。カフカはタイプは違うが、彼もまた引き返してくる。彼らが留まっている壁とはなにか。あるいは彼らはどういうラインを越えたのか、それはまた別の機会に考えたい。

 
 以上のような事は現代で小説を書く上で重要な要素になってくるのではないか、と思っている。小説を書くのに理論が関係ないというのは、僕は全然嘘だと思っている。小説家が数学をする必要は特にないが、何らかの意味で現実を論理的に考えざるを得ないのは確かだ。それをこうして言葉に表す必要はないだろうが、しかし、考える事はどっちにしても必要であるように思える。とりあえず、この論考はこれで終わりにしたい。現代小説においては、以上のような事が大切であるように、僕は考えている。それでは、また。

 
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