サリンジャーとドストエフスキー   (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
 
ますます卑小に、小さくなりつつある。この時、個人の存在は社会の大きさに比べて、極小にまで小さくなっていく。だがそれに反比例して、個人の意識は、テレビ、ネットなどの拡大により、より巨大に、そしてより世界的になっていく。そしてこの逆説、矛盾は僕達にどこかで断絶を強いるに違いない。つまり、僕達は「存在」としては卑小なのだが、「意識」としては極大なのだ。そしてその矛盾は、今の、口だけ大きく、本人は何もする気がないネット民の姿などにも象徴されている。彼らは知っているのだ。意識としては彼らは神にも等しいにも関わらず、現実には彼らは無だという事を。彼らはおそらく、現実の自分の姿を知られるのを恥と感じるだろう。彼
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