サリンジャーとドストエフスキー (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
然ではなく、画家の視点の方である。だから、ある意味、印象派の画家達は、自然を描いたのではなく、彼らの視点そのもの、それを描こうとしたのだと言える。これはドストエフスキーも同じで、ドストエフスキーにおいて重要なのは、まず何よりも主人公の自意識であり、そしてそれゆえに世界には何らかの意味が賦与される事になるのだ。従って、ここではモーパッサンやフローベールのような、世界を神の視点から見る、という写実的な方法論は取られていない。全てはラスコーリニコフの意識の中で起こる。しかし、その意識は外部から、反応を与えられる。…ではその外部とは何か?。もう何もかもを自意識の内に取り込んだドストエフスキー作品において、
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