『演者』と『目』  〈社会を分割する二つの属性〉/yamadahifumi
 
てこの要求を突っぱねるもの、あるいはこの目が単に気まぐれから気にいらないものはかたっぱしから跳ね飛ばして平気である。なぜなら、彼らは多数派であるので何をしても正しいのである。少なくとも、そう思い込んでいるのだ。

 だが、この目には一つ、問題がある。それはその目はいつも多数派であって、全体として溶けているので、それは決して個人としての虚栄心を満足させる事ができない。そして、その為に出てくるのがもう一つの機能ーーつまり、『演者』である。演者は、ユーチューバーみたいな、空虚な存在として現れてくる。そしてそれが空虚でなくとも、結局の所、『目』の下位に属する存在である事に変わりはない。人々目がけて、人
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