混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
の中に戻っていくのかもしれない。そしてそれが、この世界のもっとも根本的な物語ーー悲劇ーー大小説ーーの主なプロットとなる。だがこのプロットは真似して得られるものではない。これは作者が現実と葛藤して始めて生まれる物語なのだから。だが今、「文学」というものは形式化してしまっているので、誰しもがこれに『似た』小説を書く事はできる。だが、本物と偽物は全く違う。それは月とすっぽんなどという比喩では言い切れないくらい、全然別物である。
かなり錯綜した文学論になってしまったが、とりあえずここで筆を置く事にする。僕自身文学というものはまだ未知のものに留まっている。僕がこういう文学論を書くのは純粋に自分のためだが、それが他人のためになっていれば、幸いである。それでは。
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