混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
 
それらは、文学の専門家だけが手にとるような本ではなく、もはや一般化された一つの古典である。だが実は、漱石やドストエフスキーは文芸理論的には一番難解で、なおかつ迂遠である。彼らに比べれば、アルチュール・ランボーの方がはるかに直接的でなおかつシンプルな形体である。だが、人が手に取るのは、漱石やドストエフスキーの方だ。


 この違いが何故出てくるのか、と考えてみよう。するとその答えは次のようなものになる。『作者の情熱、意志、感情、自己表出性、そういうものが『意味』として外部に現れるのに直接的に現れるのが詩であり、そして極めて間接的、迂遠に現れるのが小説である』。そして批評はその二つの中間的なもの
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