混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
 
して、この言葉の使い方は独特である。普通、こういう言葉の使い方はしない。だが、これは気の利いた言葉の使い方、おしゃれな言葉の使い方ではなく、詩人が自身の心象を、直接、言葉そのものの体験によって示そうとする、そのような行為であると言える。…もっと言うと、小説においても、こういう比喩はあるのだが、それは登場人物による会話や地の文の中で使われる。そして文学そのものに理解力が乏しい人間は、この『詩的』である言葉の使い方を読み飛ばす。そしてこの詩性、ポエジーを読み飛ばしても、小説というものは成り立つので、この人間は小説をそのまま読んでいく。だが、詩的な表現というのは、言葉の表現の中核にあると言ってもよい。な
[次のページ]
戻る   Point(1)