ビー玉沿線/角田寿星
でた。さらにある者はこれは政府の情報操作であると闇の
中から叫び続けた。
「よろしい。ほんとうのビー玉とはあってはならないものである(丈田
太郎『ビー玉序説』より)。」人間にとってビー玉とは何か?かくもな
ぜ人々はビー玉を探し求めるのか?ビー玉のなかに包まれたものを人間
は視ることができるのか?ビー玉沿線とは魅惑であり永遠に訪れない主
題であり人間に課せられた過酷さそのものであり完全な球形以外の何者
でもない。やがて人々はビー玉を視なくなった。
*
本日もビー玉沿線は活況である。かつての屋台や見張り台や灯台や高築
台は当時の面影を残したまま改造されて人々のよしなし事を満足させる
べく活動中である。ビー玉沿線には騒擾の音楽と人々の笑い声がひび
く。ペンペン草の生えた線路を陽光を浴びてビー玉がゆっくりと進みそ
れはごくありふれた日常的な光景である。そしてその光景を注視する者
はもういない。
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