2014年5月11日/ちと
 
「元気がないね、どうしたの?」

って、たったひとことが欲しかったのだと思う。

私は幼いままに、日常の緊張や苛立ちを吐き出した。
そのたびに同じように
緊張を
苛立ちを
募らせた。

時間もお金も余裕のない生活。
ろくに会話を交わすこともない。
働きづめで疲労困憊の母は、宵の頃、よく転寝をしていた。
夜が更けると慌てたように目を覚まし、苛立ちを吐き出した。
金切り声で怒鳴って、
しんどくて泣いて、
本当に疲れていたのだと思う。


母が大嫌いだった。
母として大嫌いだった。


それから、
母と同じ遺伝子を身に秘めて同じように生きる自分が、この世でいちばん嫌いだった。


ふくれあがった劣等感や
底なしの不安感や

もう、ありとあらゆる負の値をほんとは

(ひとりで背負いきれないよ、たすけて)

って言いたかった。
一緒に抱えて欲しかった。

一度として言葉にできたことはなかったけれど。



母が私を生んだ年齢に、なりました。
一生届くことのない「ありがとう」と「ごめんなさい」を、ここから送ります。
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