詩の文脈化/葉leaf
 
美しくするためにことさら韜晦する必要はなく、むしろ韜晦が文脈についての認識を非言語化し妨げている。だから私の立場としては、文脈を積極的に言語化し、詩を語りえない技術の孤城に揚げ奉ってしまうのではなく、詩をより開かれたものとし、読者がそれを生活の次元で十分享受することができるようにすることである。詩を高尚な趣味的なものとするのではなく、生活の中で生きていく言葉とすることである。技術を極めた詩人の方々には、ぜひとも文脈の側に降りてきていただいて、自然・歴史・他者・人生への考えを深め、さらなる新しい技術の開発に励んでいただきたい。一度文脈を拒絶しても、再び文脈の側に降りてくることで、技術的にも得ることは多いだろうし、何より思想的に得ることが多いだろう。それが技術の洗練にフィードバックされていくのではないだろうか。
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