責任/葉leaf
 
任を投げかけていった。私と社会とは、このように責任を投げかけ合ったり探り合ったりする中で、微妙な調整的闘いを遂行し、やがて併行しながらも交わらない一つの軌道に収まった。私は自らの能力に応じた職を得て、社会は私という役割主体を獲得した。私と社会との闘いは、この安定した線上でも常々更新されていき、お互いの責任の投げ合いはこれからも果てしなく続いていくであろう。闘いは、闘う者同士が責任を負いあうということである。そしてこの責任は、植物のように可憐に咲いて枯れての周期を巡ることもあれば、永続する炎のように不規則に辺りを照らし出すものでもある。責任はこの上なく親しい循環であり、ともに循環し合う流動性を互いの肉体で証し続けることである。

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