秋田散歩/小川 葉
 
まつりの時に、いっぱい屋台がある場所だよね」
と息子が言うので、この空き地もまだまだそのような場所として、機能しているのかと思えば、まどみちおの詩の一節を思い出したりもして、
「ああ ここで あることと ないことが まぶしいように ぴったりだ」
と、思うのである。
見ると、息子がまぶしい夕陽を背景に、写真を撮れと、笑いながらポーズをとっている。
この人は誰なのだろう。その影を写真に写しながら、ああ、私はこの人の父なのだ。思い出す。ただそう思って、写真に写す。
この人を、おれは養ってやってるんだとか、そんな無理な緊張に色目を使わずに、ただその人を、愛する人として写真に写す。ただ、そこにその人がいることを、証明するために。
私はすべてを思い出す。遺伝子から遺伝子に、伝えられてきた、この言葉にならない愛の言葉を。
そうしてすべてを思い出し、忘れていたことがあるとすれば。
それは春休みの宿題だと、息子が小さな舌を出して笑う。
これは、いつか見た景色だと、私の遺伝子も笑う。
 
 
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