【HHM2参加作品】詩の入り口に立つためにー『母乳』ちんすこうりなー/深水遊脚
 
で作者および読者に踏み込んでよいのか、デリカシーは理解しておくに越したことはないけれど)。ただ、書き方の押しつけともとれる現象については一言書いておきたい。目の前の詩が理解できないとき、人は情報を補って理解しようとする。それに加えて、もし読む人が同時に書く人であれば、補う情報、つまり書いて欲しい言葉が、いつの間にか書かれるべき言葉であると錯覚してしまい、その書かれるべき言葉を作者に気付かせることが批評であると錯覚する、というおかしな現象が起きてしまう。これは詩の読み方としてどうなのか、私は疑問に感じる。私が詩人(=詩を書く人)に向けて詩について書きたくないと思う理由の一つはこれである。書かれていな
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