装飾/葉leaf
。私は記憶のスライドが無数に蘇ってくるのを感じた。小学生の頃、遊び疲れた帰路にこの道を通った時、ひっそりとドラム缶は煙を立てていた。大学生の時、実家に帰って稲刈りの手伝いをするためにこの道を通った時、職探しに疲れて裏山に憩いに行く途中にこの道を通った時もそうだった。記憶の葉が沢山折り重なる中、老婆の人生というものがすっとひとつ筋を通してそこにはささやかに存在していた。圧倒的な重みをもちながら極めてささやかに、老婆はゴミを燃やす行為でもって私と交わっていた。
ドラム缶の煙は遠くまで届かない。少し立ち上っただけで空気に紛れてしまう。この大きな風景の中で、ドラム缶とその煙は一筆分の存在感しか持たなかった。山や畑、田んぼや家が圧倒的に広がる中、老婆の生活はその大きな風景を小さく装飾するものでしかなかった。老婆の人生の滴りは、あたりの風景の中にあっという間に希釈されてしまった。
春が勢いよく水を切って現世の港に到着しようとしていた。大地には緑が少しずつ増え始めた。私はふと自分の身を振り返ってみた。この大きな春の中で、私の身体など、私の人生など、たかだか一筆分の装飾に過ぎないのだ。
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