HHM2開催に寄せて 過去の批評祭作品レビュー/深水遊脚
 
まれない」という側面は確かにあると思います。それでも、詩の奥行きを探ってみようという遊びには、魅力的に書かれた散文が必要です。詩の雑誌を読むときも、詩だけを選んで読むこともあるけれど、詩について書かれた文章と詩を交互に読むことのほうが多いです。散文のほうが取っつきやすいのです。詩の入り口にたつために必要な散文というのは確かにあります。

 インターネット上の書き手は不安定です。嘘つきもいれば、相手が誰かもわからないのに説教を始める人もいます。書いたあとでアカウントを消す人も後を断ちません。そんな不安定な主体が書いたものに完全を求めることを、私はしません。私でなくても、普通はしないでしょう。私が
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