時里二郎詩集『ジパング』について/葉leaf
 
十二分に利用していると言えないだろうか。実際、彼が非現実的な挿話を思いつく際にも、現実のなにがしかのエピソードが参照されているはずである。とすると、時里は単純に虚構の世界を現実から峻別したというよりも、それを超えて再び現実へと回帰する寓意的ネットワークをも示しているといわなければならない。
 時里の詩は、読者に対し、「これを虚構として読め」と指示してくる。そして読者もその指示を容易に理解する。そして、虚構であるからこそ、グロテスクさや残酷さが、他の快楽要因と相まって快に転じていく。さらには、時里の詩は単純に虚構であるにとどまらない。それは寓意的ネットワークによって現実の様々なエピソードと対応可能であって、虚構と現実を両方とも相対化したところに様々な読みの可能性を開くものである。


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