涙の虹/yo-yo
 
そのときにも
   足だけは
   みんな 地球の おなじ中心を
   ゆびさしています

        (まど・みちお『頭と足』より)

人間はなぜ詩を書くのか――と彼は自問する。
詩を書かないと死んでしまうほどではないけども、生きるための息の次に大事なものがあるという。それは「言葉」であり、「そういうものが、どうしても出てくるのでございます」という。
何かにつけて、「ふしぎな感じ」をもたずにはおれない習性をもちつづけている。だからだろう、詩にしたいと思う材料は、いつでも新しく見つかる。
「世の中にクェスチョンマークと感嘆符と両方あったら、他はなんにもいらんのじゃないでしょうか」。
百歳の詩人の目は、いまもなお疑問符と感嘆符の世界を見つづけている。
そしてその目には、ときどき美しい虹がかかる。

私はまだ、涙の虹を見たことがない。






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