揺りかご/
 
夕暮れの中で長い坂道を
ゆっくりと下っていく僕は
幽霊のように曖昧な輪郭で
揺りかごの記憶だけが頼りだ

草臥れた靴が愚痴をこぼすのを
僕は無言で見下ろしている
口を開け剥離した季節の断片を
舌先に受けると青白く火花が散る

歩き続ける自分の後ろ姿を
僕は冷たく見下ろしている
右手はインドのあたりにある
左手はドイツの森に隠れている

いつだって手ぶらで歩いていた
自分だけでも持ちきれないから
どこからか蜂の羽音が聞こえる
あるいは誰かのヴァイオリンが

いつからそうしているのかと
かつて母と呼んだ女が問う
それを知ってどうするのかと
答える言葉も薄闇に溶けていく

靴はまだ不満を漏らしている
僕はついに舌打ちをした
これは僕の靴じゃない
これは僕の人生じゃない

冷たいシーツの上で泳ぐ、溺れる
そんな空想に逃げ込みながら
そしてそれを瞬時に忘れながら
僕は揺りかごの記憶を下っていく

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