私の批評/葉leaf
い。作品が理論を引き出す、そして批評の主体がその理論を語る、だがその批評の主体はゲームの主体にすぎず、決して私自身ではないのである。
私は偶然性や無意識性を愛する。だから、批評に私の無意識の思潮が表れることもよくあるだろうし、私の批評が拡散されることで思いがけない読者に出会うこともあるだろう。私はことさらに自らの思潮を表に出そうとしないし、ことさらに自らの批評を誰かに読ませようとはしない。そこには、私の意図を超えた無意識性や偶然性が働いており、私はそのような不確定性を愛したいのだ。
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