私の批評/葉leaf
解できるものであるし、ことさらに新しいものでもないし、読む努力さえあれば誰もが共有できるものである。作品は様々な感興を引き起こすものである。だが、私はそのような感覚的な感興にはあまり興味がない。美的体験やその神秘性そのものには興味がない。なぜなら、そのような体験や感覚は明確に語りえないからだ。明確に語りえないことよりも明確に語りうることを語った方がより多く語れるわけであり、その方が作品に対してより生産的な協力になりうると考えるのである。作品は美的感興を引き起こすと同時に、それを可能にしている論理構造を持つ。そして、作品について多く語りうるのはその論理構造の方なのである。だから私は、作品の論理を語る
[次のページ]
戻る 編 削 Point(3)