一方井亜稀詩集『疾走光』について/葉leaf
設定することが可能である。引用部では「魚の線」が他の様々な線に重ねあわされていく。それは一方井のれっきとした個人史の一部である。だが、異質なもの同士が重ねあわされていくことによって生じる不均衡は、読み手のイメージに新たなる運動を巻き起こすだろうし、読み手の批評のフィールドに何らかの上位システムを作り出すだろう。すべてが「光だった」と断言するくだりにしても、それは一方井にしては純然たる事実であろうが、それ自体不均衡な存在のカオスの一コマとして、読者の中に新たなシステムを創発していくだろう。
一方井の詩は、歴史記述に相似するが、物語として構成された歴史ではなく、飽くまで世界の根源にある存在のカオスから偶然的に創発されてできたテクストである。そのテクストは公的な物語規範に沿うことなく、むしろ公的な物語の場に問いを発していくタイプの個人史である。そして、彼女の詩は、表象困難なものや世界の根源へまなざすことを忘れず、さらにそれ自身が一つの下位システムとして読者におけるより上位のシステムを創発する歴史創造行為の産物である。
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