海埜今日子詩集『セボネキコウ』について/葉leaf
さて、ここでは何が起こっているのだろうか。ここではまず、作品と読者との関係性が膨らみを持ってくる。作品は読者の所有による平坦なフィールドの中でのみ展開するのではない。作品は読者の所有という距離感を外れて、限りなく遠く、同時に限りなく近いものとして、読者との間に大きな空間を作り出す。海埜の詩の生み出す響きや意味や流れやリズムは、そのような大きな空間の中で無限にこだまを繰り返していくのである。
それと同時に、ここには詩を観賞すること自体への問題提起も含まれていないだろうか。詩とはそもそもよく分からないものであったはずだ。読者は初め詩に対して隔たりを感じながら接していたはずである。だが、詩を読む
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