海埜今日子詩集『セボネキコウ』について/葉leaf
って、そのような力の及ばないものを所有することもできないのである。作品は言語というコードを媒介にして、そのリズムやイメージを読者に対して近すぎも遠すぎもしないところでシンクロさせ、読者がその作品を所有するという関係を築いているのが通常である。そのような所有の関係において、詩行は平坦なフィールドで滑らかに流れていき、読者は作品をスムーズに鑑賞する。
くうふくをおさえて、ぎょうかんをでかけた。おとこにかかげず、そしゃくのすすんだかんたいをみつけようとしたのだろう、しょもつたち。きっかけがこきょうをとおざけることもあるのです。でんぶんはそらからふって、つもって、ひっぱりますか、ろうとのようにくちを
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