どこで、なにが、なにを、すべての疑問は泳がせておけばいい/ホロウ・シカエルボク
 
の真理を語るもの、食事の、性交の意味を語るもの、喜怒哀楽の真理を語るもの、どこで、なにが、なにを、すべての疑問は泳がせておけばいい、そんな疑問に答えが必要無いことはずいぶん昔から知っている、問いを発するということは必ずしも、答えを求めるということと対ではない、ただ問われるための問いというものが必ずある、それは単純であってはならないということなのだ、穏やかな湖面を掻き回して、まったく動いていない渦の中心を見つけるための手段だ、それを見つけられればとりあえず日常からこぼれ落ちることはない、ただあるだけのものになってはならない、有無だけを問うような真似もしてはならない、それがどんなふうに見定められてきたのか、それはいくつも時間を飛び越えた先に、きっと破れた紙片のように落ちていることだろう。


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