存在の肉/はなもとあお
 
ではない

痛みばかりを感じる

わたしの役立たずの身体を起こして
たぶん
きっと
言葉に
肉を添えなければならない
それは
セックスするという意味ではないけれど
肉のあるところに
人間関係が発生する

生身の
わたしたちは
肉のない言葉で
肉のないネット空間で
肉をどう扱うのかの
問題をいつも抱えている

メルロ=ポンティが論じた
『知覚の現象学』
身体の主体性と客体性の区別は
おもいやりの世界の
話のことかもしれないと
想像したりする

物としてのわたし
見えるものとしてのわたし思想と生きるための
いまのわたしにつきつけられた
一個の生命体の問題




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