カブトムシとクワガタ/TAT
なるほど希望は、実在している。錨のない船には錨を付けねばならない。彼にとっての錨は女と紙幣だ。たとえそれが脆弱な重しであろうとも、人が人の形をして生きてゆく以上、船には錨が求められる。新大陸を目指すのでなければ。
エアコンが熱い息を吐き出している。大丈夫だよと努めて明るく振り返って彼は女の腰に骨ばった手を添えた。外国の楽団の名前をプリントしたTシャツと下着と。楽園を追われたイブよりも二枚も多く着込んでいる女の瞳を、彼はじっと見つめ返す。昔、見つめ合う事の最上形として人はくちづけを発明した。くちづけながらお互いのシャツをたくし上げて腹と腹をくっつける。ベッドに雪崩れて甘い匂いのする髪を愛しているかのように愛す。彼の右手と左手が、ありったけの温度を彼女の指先に送り込む。ゆっくりと火を熾しながら、証が欲しいと女は言った。赤ん坊は無理だけど証ならいつでもあげられると彼は答えた。彼は性能の良い機械になりたいと思った。彼は彼女ではないので彼女が何になりたがっているのかは彼には分からなかった。冷酷な時計は明日の仕事の時間を今も内蔵していて、滅茶苦茶に鳴り響く時を今か今かと数え続けていた。
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