或るコーヒーテーブルの傍らで/りゅうのあくび
 
人生というものは本来
純粋なものなのか
という素朴な問いに対して
年上の彼の立場としては
人生はかなりのものが不純物で
出来ているという話をしていたはずだった

ここに座って
潤している咽喉の渇きだって
南半球のコーヒー農園で作られた豆と
蒸留水と
人間の清らかな汗とで
組み合わせたものを飲むことで
満たされるものではないと云う

その話題については
一緒に建物の二階にある喫茶店に入って
話をしていても
二人はほとんどまったくといっていいほど
異なる人生を歩いているわけで
肯くことができないところもあったけれども

それは
人間の孤独というものの解釈によって
変わってくるということであった
そもそも人間は一人で生きていくことはできない
だからコーヒーテーブルにだって
意味はあるのだろうし

二人は喫茶店を離れて
都会の雑踏で小さな旅がまた始まるわけだが
きっと一杯のコーヒーの味覚には
人生の純朴さそのものの苦みがある

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