おもらし抱き枕/松元奉久
虐待児童、おもちゃを買って貰う。
普通児童はその様子が憎いらしい。だから大人になったら自分で車を買うんだ。
どう満足させるのか、僕には分からないけれど、分からないことの陽気さは彼らには、
また分からないことなんだ。「らしい」とか、「だろう」よりも意味の深い言葉で表そう。より真実に近い分からないを描けるから。
黙っていれば黙っていると思えるけど、物差しが段々と小さく、少なくなってきている事もわかるから、明日には絶望なんて呆れた言葉がやはり、似合うんだ。
「ね」を付けるべきだろうか。
それとも、「である」で終わるべきなのだろうか。
それは、過去より、今より、未来が決めることなんだ。
だから忘れて行けばよいことを作ろうか。
いくつも作られた詩は、データの海に消してしまった。
それでよかったんだ。一人と同意語である。
私に寄り添う詞であるとともに、貴方の未来に爆弾一つ。
俗らしいとは属か族か。
いずれにせよ続となろうとする悲しみの上になりたっている。
やはりここは、「である」で終わらそう。
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