記憶/壮佑
 

 トキエは泣いている。薄暗い納戸の奥の、
紅い鏡掛を開いた鏡台の前に座り、泣きなが
ら化粧をしている。「おかあちゃん」幼い私
はトキエに纏わり付いて、その名を呼び続け
ている。戸外から蜜柑畑に行く父の呼び声が
聴こえて来る。町育ちのトキエには馴染めな
い農家の日々と、父への精一杯の抵抗。「お
かあちゃん」私はいつまでも呼び続けた。

 まだ陽射しの強い秋の日に、私はトキエに
連れられて何処かの保養地に向かっていた。
トキエと私は手を繋いで列車に乗り、手を繋
いで畦道を歩いた。見上げると、帽子を被っ
たトキエの顔が、青空を背に私に微笑み掛け
ている。トキエと私は知らな
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