山田亮太詩集『ジャイアントフィールド』について/葉leaf
詩はなぜ「難しい」のだろうか。詩はなぜ「わからない」のだろうか。それは、「わかりやすい」文章が一義的であるのに対して、詩は多義的であるからだろう。解釈が一通りに容易に定まれば、何も難しいことはない。だが、そもそも解釈が思いつかないような場合や、解釈がいくらでもありどの解釈をとったらよいかわからないとき、人はその文章を「難しい」と形容する。そして、詩が単に多義的であるならばまだ救いはあるかもしれない。これだけ多様に解釈できるということは、好きな解釈を自由に選択していいということだ、と読者は開き直れるからである。だが、解釈が両義的であったらどうだろう。つまり、相反する二つの解釈が同時に成立し、しかも
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