KARADAからでてくることば 〜真美鳥のアルバム『ピラニア』 について〜/さわ田マヨネ
れていき、そこではこのア ルバムでも1番の高揚感を携えているのだけれど、そうやってたっぷりの余韻を残し た状態で、アルバム全体としてみてもたくさんの情感をひきずりながらゆったりと 幕が引かれていく。
他者はもちろんボクだって、思っているよりずっと不確かな存在なのかもしれな い。余韻の中では言葉がどこまでもゆらいでいて、ただそのゆらぎの範囲内でしか息づけないものもあるようで、そこにこそ誰かの存在のようなものが潜んでいる のかもしれない。君が見え隠れする部分というのは大体においてそういうところにあるような気がする。
英語だとyouで片付いてしまう言葉がずっとゆらいでいる。このアルバムは日本 語ロックのひとつの到達点だったんじゃないかと今思っている。
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