大人/草野春心
無数の傷のついたフライパンで
三枚のベーコンを焼いている
その男はただの大人だった
円周率を小数点以下八桁まで記憶し
足指のひとつに水虫をわずらう
その男はただの大人だった
薄暗い朝に
肩にふけの落ちたスーツを纏って
背後にはニュースの斑色の音声を浴び
男の身体のいたるところで
ぼろい猫がゆっくり歩いている
女たちが伸びすぎた爪をきっている
すべての臓器は硬く丸めた雑巾のように
すえた臭いのする水をぽたぽた滴らせている
その男はノブのとれた扉に似ていた
その男は街にひそむ陰湿さに似ていた
ベーコンの一枚がうまく焼け
あとの二枚は少し焦がしてしまう
薄暗い朝は夕暮れよりもはるかに寂しい
男の細長い身体に、それもまた詰めこまれてゆく
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