芸術における閉鎖性についての論考/小川 葉
 
 
 
北野武がカンヌやベネチア映画祭で評価される理由は、彼がフランス映画とイタリア映画をきちんとリスペクトした上で、オマージュしている作品を出品しているからだと聞いたことがある。
これは例えれば、日本の村祭りなどで行われている民謡大会に、とつぜん飛び入りで登場してきた西洋人が、見事に日本の民謡を、日本人のように歌いきった、という様子に似ている。これにはたしかに、村のみんなもプラボー!である。
対して松本人志は、その民謡大会会場で、自分が主観的におもしろいと思っているヘビーメタルを歌ってしまったというような様子に似ているような気がする。
松本人志の映画はおもしろいのだろう。しかし、その作
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